東京ヤクルトスワローズ

球団のあゆみ

1970年代



1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代2010年代
1970年
1月7日
球団呼称を「ヤクルトアトムズ」に変更。
8月25日
対中日18回戦(神宮)に0-2で敗れ、プロ野球史上2度目の16連敗を喫す。
10月1日
丸山完二外野手、対巨人26回戦(後楽園)で1,000試合出場を達成(プロ148人目)
10月
岡嶋コーチ、松岡、藤原、安木投手、大矢捕手、武上内野手の6名は、米大リーグのカリフォルニア・エンゼルスのアリゾナ教育リーグ(メサ市)に参加。

「ヤクルト球団」誕生も苦難の年に
年明け早々に球団名を改め、「ヤクルトアトムズ」として新たな歴史を歩み始めた。ドラフトでは1位指名の八重樫幸雄(仙台商高)を筆頭に西井哲夫(2位、宮崎商高)、外山義明(6位、クラレ岡山)、大矢明彦(7位、駒沢大)ら9人のほか、ドラフト外で中村国昭(日鉱佐賀関)を獲得。さらに巨人から戦力外となった元本塁打王の桑田武、前東映の宮原秀明らを加えたが、フタを開けてみると序盤から苦戦が続いた。

本拠地・神宮初戦となった4月14日の大洋戦を石戸四六の完投勝利でモノにするなど、4月は5勝7敗と善戦したものの、5月5日からの4連敗で最下位に転落。6月は9日の大洋戦で鬼頭洋にノーヒットノーラン、27日の阪神戦ではセ・リーグ初の毎回失点と不名誉な記録が続き、浮上のきっかけすらつかむことができなかった。

後半戦になっても投打の歯車が噛み合わず、8月18日にシーズン2度目の11連敗を喫したところで、ついに別所毅彦監督が解任。小川善治コーチが監督代行として後を継いだものの負の連鎖は止まらず、23日の大洋戦に敗れてセ・リーグ新記録の15連敗、さらに25日の中日戦も落としてプロ野球タイ記録(当時)の16連敗という屈辱を味わった。結局、小川代行でもチームが上向くことはなく、国鉄・サンケイ時代を通じて球団史上ワーストの借金59、勝率.264で苦難のシーズンを終えた。

投手陣は開幕投手を務めた石岡康三と、浅野啓司が6勝ずつを挙げたのが最多で、2ケタ勝利ゼロは球団史上初。前年まで4年連続2ケタ勝利の石戸は3勝15敗と大きく負け越し、期待の松岡弘、藤原真もそれぞれ4勝、1勝と伸び悩んだ。

打線は2年目のチャンスがオープン戦でヒザを痛めた影響でシーズンを通して精彩を欠き、これにつられるように主砲ロバーツも不振に陥った。リーグ打撃10傑入りは皆無で、武上四郎が打率.265で12位に食い込むのが精一杯。それでも小川監督代行就任後に盗塁数を伸ばした東条文博が、球団13年ぶりの盗塁王に輝いた。また、年末には前年のドラフトで1位で指名された大洋への入団を拒んで“野球浪人”していた早稲田大出身のスター、荒川尭を三角トレードで獲得し、話題を集めた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
79
47
4
.627
2
阪神タイガース
130
77
49
4
.611
2.0
3
大洋ホエールズ
130
69
57
4
.548
10.0
4
広島東洋カープ
130
62
60
8
.508
15.0
5
中日ドラゴンズ
130
55
70
5
.440
23.5
6
ヤクルトアトムズ
130
33
92
5
.264
45.5

主なラインナップ(監督:別所毅彦→小川善治)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(遊)
東条文博
26
.249
2
23
2(中)
福富邦夫
27
.239
8
37
3(二)
武上四郎
29
.265
9
39
4(右)
ロバーツ
37
.238
19
52
5(一)
チャンス
30
.233
6
26
6(左)
丸山完二
30
.223
4
14
7(三)
城戸則文
31
.163
1
9
8(捕)
大矢明彦
23
.204
6
27
9(投)
※先発投手
久代義明
28
.202
3
7
溜池敏隆
26
.167
3
7
高倉照幸
36
.312
1
17
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
石岡康三
29
36
6-14
3.25
浅野啓司
21
28
6-12
3.88
安木祥二
22
45
4-12
4.11
松岡弘
23
45
4-12
4.22
外山義明
23
43
4-10
3.39
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最多盗塁
東条文博(初)

1971年
7月28日
ロバーツ外野手、対中日13回戦(神宮)で通算150本塁打を達成(プロ29人目)外国人選手としては第一号。
8月30日
城戸則文内野手、対阪神12回戦(甲子園)で1,500試合出場を達成。
9月27日
イースタン・リーグで初優勝(64試合38勝23敗3分、勝率.623)

三原監督就任、外山の“二刀流”が話題に
チーム再建の切り札として、巨人、西鉄、大洋を優勝に導いた“知将”三原脩監督を招聘。その娘婿の中西太をヘッドコーチに据える新体制で、巻き返しを図った。

初の開幕投手を託された松岡弘の完投勝利で白星発進すると、そこから2カード連続の勝ち越しと出足は良かった。続く4月18日の中日戦も松岡の3度目の完投でモノにして、この時点では巨人と同率の首位。しかし、その後は負け越しが続き、4月下旬から5連敗を喫して一気に最下位に転落した。

前年までと違ったのは、そこからだ。5月25日からの10試合で主砲のロバーツが8本塁打と打ちまくり、この間に9勝1敗と大きく勝ち越し。うち8試合が1点差勝ちと「三原魔術」が冴え、勝率を再び5割に戻した。結局、6月は11勝7敗で乗り切り、7月に入るといきなり3連勝するなど、前半は首位の巨人に11.5ゲーム差ながら2位で折り返した。

後半戦は最初のカードで巨人に3勝1敗と勝ち越してゲーム差を8.5に縮め、8月初旬まで2位の座をキープした。だが、8月4日の阪神戦から4連敗で借金生活に逆戻りすると、歯止めが効かなくなり、終わってみれば2年連続の最下位。それでもペナントレースを大いに盛り上げ、さらに二軍がイースタン・リーグ初優勝を飾ったのは、翌年以降に向けての光明となった。

三原監督が投打の“二刀流”起用を明言して話題を呼んでいた外山義明は、6月18日に完封で3勝目を挙げた時点では、打っても代打を中心に打率3割をキープ。8月22日の大洋戦では「一番・投手」で先発してアッと言わせたが、終盤は故障もあって代打に専念するなど“二刀流”は成功とは言い難かった。

投手陣では前半戦だけで9勝した松岡が、自身初の2ケタとなる14勝でエース格にのし上がった。打線ではロバーツが7月28日の中日戦で外国人としては史上初の通算150本塁打を達成し、シーズン33本塁打と復活。武上四郎が打率.272でベスト10に滑り込み、ルーキーの若松勉は規定打席未満ながら打率.303をマークした。一方で、前年暮れに大洋から“三角トレード”で獲得した荒川尭は、開幕から1ヶ月の出場停止もあって本領発揮とはならなかった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
70
52
8
.574
2
中日ドラゴンズ
130
65
60
5
.520
6.5
3
大洋ホエールズ
130
61
59
10
.5083
8.0
4
広島東洋カープ
130
63
61
6
.5080
8.0
5
阪神タイガース
130
57
64
9
.471
12.5
6
ヤクルトアトムズ
130
52
72
6
.419
19.0

主なラインナップ(監督:三原脩)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(遊)
東条文博
27
.223
1
15
2(左)
若松勉
24
.303
3
15
3(二)
武上四郎
30
.272
15
51
4(一)
ロバーツ
38
.268
33
76
5(三)
荒川堯
24
.242
6
28
6(中)
福富邦夫
28
.244
8
48
7(右)
内田順三
24
.307
3
21
8(捕)
大矢明彦
24
.231
10
40
9(投)
※先発投手
城戸則文
32
.238
3
20
溜池敏隆
27
.154
2
8
大塚徹
26
.229
1
14
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
松岡弘
24
48
14-15
2.52
石岡康三
30
45
8-11
2.92
浅野啓司
22
38
7-14
3.20
会田照夫
24
35
6-5
3.76
外山義明
24
33
5-11
3.25
  • 年齢は満年齢


表彰選手
該当者なし

1972年
4月27日
城戸則文内野手、対広島2回戦(広島)で通算1,000本安打を達成(プロ79人目)
8月2日
ロペス外野手、対中日18回戦(神宮)で通算100号本塁打を達成(プロ69人目)
8月12日
イースタン・リーグ2年連続優勝(64試合46勝18敗、勝率.719)

若松が球団初の首位打者、安田は新人王に
三原脩監督就任2年目を迎え、次々にトレードを敢行。前年、投打の“二刀流”で話題を呼んだ外山義明、1968年秋のドラフト1位右腕の藤原真、控え内野手の溜池敏隆らを放出し、代わりにロッテから4年連続20本塁打のロペス、東映から2ケタ勝利3度の田中調、そして巨人と西鉄でオールスター出場5回の船田和英らを獲得した。

だが、シーズン序盤は苦しんだ。5月10日の時点では借金11を抱えて最下位。それでも6月1日の巨人戦で、不振のために二軍落ちしていた荒川尭が1ヶ月半ぶりにスタメン出場して1号2ランを放つと、翌日から引き分けを挟んで3連勝。この月は10勝12敗1分けと善戦して最下位から脱け出し、7月6日の大洋戦からは7連勝と、後半戦に向けて弾みをつけた。

その後半戦はエースの松岡弘に加え、3年目の西井哲夫とルーキーの安田猛が投手陣を引っ張った。松岡は7月30日にプロ5年目で初めて巨人に完封勝ち。8月5日には安田が大洋戦でプロ初完封をマークすると6日は西井が完封、7日は松岡が完投と、この3人で3連勝を飾った。

さらに9月10日から3連勝で4位に浮上すると、19日からは6連勝でついに借金を完済。9月28日の巨人戦を松岡、安田の継投でモノにして初の貯金を作るも、快進撃はそこまでだった。その後は負けが込み、11年ぶりの勝率5割はならなかったが、4年ぶりの4位でシーズンを終了。二軍はイースタン連覇を果たした。

前年も規定打席未満ながら打率3割を記録していた若松勉は、開幕から正左翼手に定着したこの年も打撃好調。8月初旬に打率トップの座を明け渡すも、4日でこれを奪回すると、そのまま最後まで突っ走って打率.329で球団史上初の首位打者に輝いた。

投げてはルーキーの安田が防御率2.08で、国鉄時代の金田正一以来、球団14年ぶりの最優秀防御率を獲得。1952年の佐藤孝夫、1967年の武上四郎に次いで、チーム史上3人目の新人王も受賞した。また、松岡は2年連続チームトップの17勝でエースとしての地位を確立し、西井も自己最多の9勝と健闘した。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
74
52
4
.587
2
阪神タイガース
130
71
56
3
.559
3.5
3
中日ドラゴンズ
130
67
59
4
.532
7.0
4
ヤクルトアトムズ
130
60
67
3
.472
14.5
5
大洋ホエールズ
130
57
69
4
.452
17.0
6
広島東洋カープ
130
49
75
6
.395
24.0

主なラインナップ(監督:三原脩)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(遊)
東条文博
28
.243
1
25
2(右)
ロペス
35
.286
14
61
3(三)
荒川堯
25
.282
18
42
4(一)
ロバーツ
39
.277
22
63
5(二)
武上四郎
31
.279
5
38
6(左)
若松勉
25
.329
14
49
7(捕)
大矢明彦
25
.269
5
40
8(中)
山下慶徳
26
.234
8
19
9(投)
※先発投手
船田和英
30
.248
8
31
内田順三
25
.223
4
27
福富邦夫
29
.227
3
15
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
松岡弘
25
46
17-18
3.09
西井哲夫
21
32
9-5
3.64
石岡康三
31
29
8-3
3.81
安田猛
25
50
7-5
2.08
渡辺孝博
26
37
7-14
4.85
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最優秀新人
安田猛
最優秀防御率
安田猛(初)
首位打者
若松勉(初)
ベストナイン(外野手)
若松勉(初)
特別賞
ダイヤモンド・グラブ賞(捕手)
大矢明彦(初)


1973年
2月23日
球団社長に佐藤邦雄氏就任。
9月8日
船田和英内野手、対阪神24回戦(甲子園)で1,000試合出場を達成(プロ169人目)
9月9日
安田猛投手、対阪神25回戦(甲子園)で81イニング連続無四球の日本新記録を達成。
10月2日
松岡弘投手、対阪神26回戦(神宮)で球団史上3人目の20勝を達成。
12月26日
正式球団名を株式会社ヤクルト球団とし、球団呼称をヤクルトスワローズに改める。

三原監督最終年はVに“最接近”の4位
3年契約で入団した三原脩監督の最終年。開幕戦ではセ・リーグ9連覇を狙う巨人を相手に打線が3本塁打を含む14安打と爆発し、エースの松岡弘から安田猛へ繋ぐリレーで幸先のいいスタートを切った。ところが4月19日の阪神戦から7連敗すると、5月3日からは2引分けを挟んで10連敗。この時点で勝率は2割を切り、首位から11ゲームの大差で最下位に沈んでいた。

しかし、5月22日の阪神戦を浅野啓司の好リリーフでモノにすると、そこからの11試合で9勝2敗と反撃。6月は松岡、安田、浅野の3本柱で計10勝を挙げるなど、月間12勝10敗と勝ち越しに成功した。さらに7月3日からの大洋3連戦を、若松勉の2度のサヨナラ本塁打と松岡の完封で3タテし、ついに最下位から脱出。前半戦は巨人と同率の4位で折り返した。

その勢いは後半戦に入っても衰えず、8月21日の中日戦に勝って勝率5割到達と同時に3位へ浮上。まれに見る大混戦の中、9月初旬には2位に立ち、首位まで2.5ゲーム差と悲願の初優勝も夢ではない状況になっていた。だが、8日から甲子園で阪神に連敗すると、次第に上位陣に離されていき、最終的には勝率5割にわずかに届かず4位。それでもV9を達成した巨人とは4.5ゲーム差と、球団史上でも最も優勝に接近したシーズンとなった。

投手陣は2年連続最優秀防御率の安田(2.02)を筆頭に、4位松岡(2.23)、6位浅野(2.38)と3人が10傑入りし、チーム防御率2.60はリーグ1位。松岡は球団史上3人目の20勝到達を成し遂げ、巨人から6勝して「巨人キラー」の異名を取った浅野はプロ7年目で初の2ケタ勝利を挙げた。安田は終盤の戦線離脱で勝ち星こそ10勝止まりだったが、81イニング連続無四球の日本新記録を樹立した。

打線では前年の首位打者の若松が打率.313でリーグ2位に食い込むも、そのほかの打者は軒並み苦しんだ。開幕は四番に座ったロペスは打率.233、11本塁打と精彩を欠き、6月には「大物メジャーリーガー」のペピトーンを補強。代わりに衰えの見えたロバーツをシーズン途中で近鉄に放出したが、ペピトーンはわずか14試合の出場に終わるなど戦力にはならなかった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
66
60
4
.524
2
阪神タイガース
130
64
59
7
.520
0.5
3
中日ドラゴンズ
130
64
61
5
.512
1.5
4
ヤクルトアトムズ
130
62
65
3
.488
4.5
5
大洋ホエールズ
130
60
64
6
.484
5.0
6
広島東洋カープ
130
60
67
3
.472
6.5

主なラインナップ(監督:三原脩)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(遊)
東条文博
29
.224
2
28
2(三)
船田和英
31
.231
4
24
3(中)
山下慶徳
27
.259
11
43
4(左)
若松勉
26
.313
17
60
5(右)
ロペス
36
.233
11
39
6(一)
小田義人
26
.216
3
13
7(二)
中村国昭
26
.213
4
21
8(捕)
大矢明彦
26
.189
7
21
9(投)
※先発投手
荒川堯
26
.232
7
17
武上四郎
32
.211
2
12
内田順三
26
.274
1
19
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
松岡弘
26
48
21-18
2.23
浅野啓司
24
43
14-12
2.38
安田猛
26
53
10-12
2.02
渡辺孝博
27
39
8-8
2.38
榎本直樹
25
37
5-4
2.71
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最優秀防御率
安田猛(2回)
ベストナイン(外野手)
若松勉(2回)


1974年
10月
後半12試合に10勝し、13年ぶりにAクラス(3位)入りを果たす。(130試合60勝63敗7分、勝率.488)

「ヤクルトスワローズ」で13年ぶりのAクラス
9年ぶりに「スワローズ」のニックネームを復活させ「ヤクルトスワローズ」として再出発。打撃コーチから昇格した荒川博新監督を中心に、沼沢康一郎、広岡達朗、小森光生といずれも早稲田大出身のコーチが脇を固める首脳陣は、「早大カルテット」と呼ばれて話題となった。

ただし、その船出は芳しいものではなかった。巨人との開幕3連戦は2敗1分けに終わると、4月13日の阪神戦から5連敗を喫するなど、4月は最下位。その後も5月、6月と月間負け越しが続き、上位進出の足がかりをつかむことができなかった。

ようやく反撃に転じたのは夏場に入ってから。7月に8勝6敗1分けと初めて勝ち越すと、8月初旬には西井哲夫、小林国男、安田猛、松岡弘、そしてまた西井で5試合連続完投勝利を収めるなど6連勝をマーク。これでようやく最下位から抜け出し、その勢いに乗って8月21日からの4連勝で4位に浮上した。さらに10月6日から本拠地・神宮で行われた3位阪神との2連戦に、四番・ロジャーの連日のアーチなどで連勝して3位に進出。そのまま国鉄時代の1961年以来、13年ぶりのAクラス入りを果たした。

打線は2年目のペピトーンがオープン戦になっても来日する気配を見せず、ロペスも前年限りで退団と、大砲不在で開幕を迎えていた。そこで前年のオフに太平洋を解雇されていたロジャー(太平洋時代の登録名はレポーズ)を獲得すると、打率こそ.232ながらチーム最多の25本塁打とパワーを発揮。思わぬ拾い物となった。そのロジャーとともにクリーンアップトリオの一角を担った若松勉は打率.312で3年連続の打撃10傑入りととともに、ベストナインも3年連続で受賞。加えて自己最多の20本塁打と、パンチ力も見せつけた。

投手陣はエース松岡が17勝を挙げて、4年連続のチーム最多勝。浅野啓司は打線の援護に恵まれず負け越したものの、12勝で2年連続の2ケタ勝利をマークし、防御率2.39でリーグ2位に食い込んだ。また、前年は0勝に終わった石岡はほぼ救援で6勝5敗、防御率2.06の成績を残し、この年から新設されたセーブも8つ記録してカムバック賞に輝いた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
中日ドラゴンズ
130
70
49
11
.588
2
読売ジャイアンツ
130
71
50
9
.587
0.0
3
ヤクルトスワローズ
130
60
63
7
.488
12.0
4
阪神タイガース
130
57
64
9
.471
14.0
5
大洋ホエールズ
130
55
69
6
.444
17.5
6
広島東洋カープ
130
54
72
4
.429
19.5

主なラインナップ(監督:荒川博)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(二)
武上四郎
33
.260
5
33
2(遊)
永尾泰憲
24
.257
3
17
3(左)
若松勉
27
.312
20
74
4(中)
ロジャー
34
.232
25
54
5(右)
山下慶徳
28
.243
9
53
6(一)
小田義人
27
.200
6
24
7(三)
船田和英
32
.250
6
32
8(捕)
大矢明彦
27
.239
13
41
9(投)
※先発投手
中村国昭
27
.237
9
27
東条文博
30
.226
0
10
内田順三
27
.223
4
21
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
松岡弘
27
39
17-15-1
2.80
浅野啓司
25
41
12-15-5
2.39
西井哲夫
23
35
11-6-1
3.18
安田猛
27
28
9-5-0
3.18
石岡康三
33
33
6-5-8
2.06
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
若松勉(3回)
特別賞
カムバック賞
石岡康三

1975年
5月18日
ロジャー外野手、対中日7回戦(中日)でセ・リーグ通算15,000本塁打を達成。
6月18日
船田和英内野手、対広島9回戦(神宮)でセ・リーグ通算15,000盗塁を達成。
10月11日
大杉勝男内野手、対広島25回戦(広島)で通算300号本塁打を達成(プロ9人目)

スラッガー大杉獲得も実らず再びBクラス
パ・リーグで本塁打王と打点王を2度ずつ獲得したスラッガー、大杉勝男を日本ハムからトレードで獲得。前年25本塁打のロジャーと新外国人で強力クリーンアップを組み、チーム打率、本塁打ともリーグワーストだった打線のテコ入れを目指した。

ところが新外国人の獲得が失敗に終わると、大杉もキャンプ終盤の故障が響いて精彩を欠き、開幕から8試合ノーアーチ。4月下旬には、養父である荒川博監督との「親子鷹」で注目されていた荒川尭が左目の視力減退を理由に引退を表明するなど、攻撃力は思うように上がらなかった。

それでも左のエース安田猛が4月だけで5勝を挙げるなど投手陣を引っ張り、5月半ばまで5割前後の勝率をキープ。すると5月15日から引き分けを挟み6連勝で、一気に首位に躍り出た。さらに29日から今度は引き分けを挟んで4連勝をマークして貯金を7に増やし、2位に2ゲーム差をつけた。

だが、その後に4連敗を喫して首位の座から転落。阪神、広島、中日との激しい争いの中で一度はトップに返り咲くも、6月下旬にその座を明け渡すと、再び首位に浮かび上がることはなかった。8月半ばには、先発に抑えに大車輪の活躍を見せていたエースの松岡弘が故障で離脱。シーズン前半は接戦に競り勝っていたのが、後半は一転して1点差ゲームに3勝19敗と大きく負け越し、2年連続Aクラスにも届かなかった。

6月初めにリーグ一番乗りで10勝に到達した安田は、自己最多の16勝で初めてチームの勝ち頭に。松岡も約3週間の離脱がありながらも、5年連続の2ケタ勝利となる13勝を挙げたが、前年まで2年連続2ケタ勝利の浅野啓司がわずか1勝に終わったのが大きな誤算だった。

打線は若松勉が初めて打率3割を逃したものの、ロジャーがリーグ7位の打率.292、27本塁打で初のベストナインを受賞。太平洋とのトレードで3年ぶりに復帰した福富邦夫も規定打席未満ながら打率.290、8本塁打と気を吐いたが、期待の大杉が打率.237、13本塁打に終わったのが痛かった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
広島東洋カープ
130
72
47
11
.605
2
中日ドラゴンズ
130
69
53
8
.566
4.5
3
阪神タイガース
130
68
55
7
.553
6.0
4
ヤクルトスワローズ
130
57
64
9
.471
16.0
5
大洋ホエールズ
130
51
69
10
.425
21.5
6
読売ジャイアンツ
130
47
76
7
.382
27.0

主なラインナップ(監督:荒川博)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(二)
武上四郎
34
.229
7
18
2(右)
福富邦夫
32
.290
8
39
3(左)
若松勉
28
.291
8
48
4(中)
ロジャー
35
.292
27
70
5(一)
大杉勝男
30
.237
13
54
6(三)
中村国昭
28
.271
4
26
7(捕)
大矢明彦
28
.243
9
43
8(遊)
永尾泰憲
25
.251
3
9
9(投)
※先発投手
船田和英
33
.216
2
21
内・外
井上洋一
26
.255
5
18
山下慶徳
29
.225
10
24
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
安田猛
28
44
16-12-4
2.73
松岡弘
28
41
13-9-6
2.32
西井哲夫
24
43
9-15-0
3.39
井原慎一朗
23
34
7-7-0
3.39
渡辺孝博
29
34
6-6-2
3.23
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
ロジャー(初)
特別賞
ダイヤモンド・グラブ賞(捕手)
大矢明彦(2回)


1976年
4月14日
松岡弘投手、対大洋1回戦(神宮)で通算1,000奪三振を達成。
6月19日
松岡弘投手、対巨人9回戦(神宮)で100勝目を完封で飾る。
7月9日
若松勉外野手、対中日15回戦(神宮)でサイクルヒットを達成(プロ29人目)
10月12日
船田和英内野手、対広島24回戦(神宮)で通算1,000本安打を達成。
10月15日
ロジャー外野手、対中日26回戦(ナゴヤ)で通算100号本塁打を達成。

荒川監督休養、広岡新監督で出直し
待望の新外国人として前ドジャースのマニエルを獲得。大杉勝男、ロジャーとの新クリーンアップトリオで巻き返しを図った。前年に続いて本拠地・神宮で迎えた開幕戦では、大杉を欠きながらもさっそく打線が火を噴き、巨人との打ち合いの末に6対6の引き分け。だが、4月10日から4連敗したかと思えば15日からは逆に4連勝するなど不安定な戦いが続き、5月6日から5連敗を喫したところで、荒川博監督の休養が発表された。

監督代行として指揮を執った広岡達朗ヘッドコーチの下、5月13日には連敗を止めたものの、15日から今度は6連敗。26日の大洋戦に敗れ、ついに最下位に転落した。しかし、広岡監督代行が6月半ばに正式に監督に就任すると、7月に入ってようやく反撃を開始。8日からオールスターを挟み、安田猛、松岡弘の左右のエースで5連勝。これで最下位から抜け出すと、7月29日からは安田、松岡に加え会田照夫、浅野啓司で6連勝を飾った。

さらに9月4日からは首位の巨人を敵地・後楽園で3タテするなど4連勝をマーク。そのまま5位でシーズンを終えたが、7月以降は投打の歯車が噛み合って33勝31敗6分けと勝ち越し、翌年に期待を抱かせた。

前年は初めて打率3割を切った若松は、終盤まで激しい首位打者争いを演じるなど自己ベストの打率.344で2年ぶり4度目のベストナインに選出。7月9日の中日戦では球団史上2人目のサイクルヒットを達成した。移籍1年目は不振にあえいだ大杉勝男も、打率.300、29本塁打と鮮やかに復活。ロジャーも自己最多の36本塁打と量産したが、マニエルは6月下旬から2ヶ月近く戦列を離れるなど、11本塁打に終わった。また、17年目のベテラン、船田和英は正三塁手に返り咲いて10月に通算1000安打を記録。シーズンでは自身初の打率3割到達で、カムバック賞に輝いた。

投手陣はこの年も松岡と安田頼みだった。ともに先発のほか、時には抑えも兼ねて松岡は17勝4セーブ、安田は14勝2セーブ。松岡は6月に球団史上3人目の通算100勝を達成した。会田が入団6年目で初の2ケタ勝利を挙げたのは大きかったが、これに続くのが3勝の浅野では心もとなかった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
76
45
9
.628
2
阪神タイガース
130
72
45
13
.615
2.0
3
広島東洋カープ
130
61
58
11
.513
14.0
4
中日ドラゴンズ
130
54
66
10
.450
21.5
5
ヤクルトスワローズ
130
52
68
10
.433
23.5
6
大洋ホエールズ
130
45
78
7
.366
32.0

主なラインナップ(監督:荒川博→広岡達朗)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(左)
若松勉
29
.344
17
70
2(二)
永尾泰憲
26
.288
3
15
3(中)
ロジャー
36
.274
36
81
4(一)
大杉勝男
31
.300
29
93
5(右)
マニエル
32
.243
11
32
6(三)
船田和英
34
.302
2
23
7(捕)
大矢明彦
29
.228
7
42
8(遊)
水谷新太郎
23
.208
1
16
9(投)
※先発投手
渡辺進
24
.226
4
15
中村国昭
29
.220
1
9
山下慶徳
30
.272
9
33
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
松岡弘
29
42
17-13-4
3.32
安田猛
29
38
14-13-2
3.93
会田照夫
29
41
10-9-1
3.61
浅野啓司
27
23
3-6-1
3.51
鈴木康二朗
27
43
2-5-1
3.60
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
若松勉(4回)
サイクルヒット
若松勉
特別賞
カムバック賞
船田和英
ダイヤモンド・グラブ賞(捕手)
大矢明彦(3回)


1977年
5月13日
対大洋6回戦(神宮)で3-2で勝ち、球団創立以来通算1,500勝を達成。
6月5日
大杉勝男内野手、対中日7回戦(ナゴヤ)で通算1,000打点を達成(プロ11人目)
6月22日
大杉勝男内野手、対中日10回戦(神宮)で通算1,500試合出場を達成(プロ55人目)
8月11日
大杉勝男内野手、対大洋17回戦(神宮)で通算350本塁打を達成(プロ8人目)
8月25日
大杉勝男内野手、対阪神21回戦(岡山)で通算1,500本安打を達成(プロ33人目)
9月14日
対大洋21回戦(川崎)で1イニング5本塁打のセ・リーグ新記録(日本タイ記録)を達成。
10月
球団創立以来初めてリーグ2位。(130試合62勝58敗10分、勝率.517)

球団史上初の2位、若松は2度目の首位打者に
広岡達朗監督が初めて開幕から指揮を執ったこのシーズン、いきなり本拠地・神宮で阪神に連敗を喫したものの、直後の広島戦から4連勝。4月23日から再び4連勝を飾り、4月は10勝9敗とまずまずのスタートを切った。

5月は負け越したが、6月5日に大杉勝男が通算1000打点を達成すると、12、13日の広島戦では若松勉がプロ野球タイ記録となる2試合連続サヨナラ本塁打の離れ業をやってのけるなど、引き分けを挟んで9連勝で2位に浮上。その後、3位に後退した時期もあったが、7月21日に2位の座を取り戻してオールスターを迎えた。

この前半戦、投手陣で大健闘したのがルーキー左腕の梶間健一だった。5月13日の大洋戦ではプロ初完投で球団通算1500勝に花を添えるなど、7月半ばまでに6勝をマーク。監督推薦でオールスターに選ばれると、第1戦、第3戦で勝利投手となり、初の球宴で2勝を挙げる史上初の快挙を成し遂げた。

後半戦は2年目の外国人、マニエルのバットが火を噴いた。8月29日からは14試合で12本塁打というハイペース。9月3日のヤクルト戦で通算756号本塁打を放ち、「世界の本塁打王」になったばかりの王貞治(巨人)を猛追し、9月15日の時点では42本でピタリと並んでタイトル獲得の期待も抱かせた。その後は本数が増えず、マニエルの本塁打王は幻となったが、一方で若松は張本勲(巨人)との熾烈な争いの末、打率.358で首位打者を獲得。これは若松にとって、5年ぶり2度目の栄誉となった。

最終的にはセ・リーグ2連覇の巨人に15ゲーム差をつけられたとはいえ、シーズン2位は球団史上最高位。それだけにカード別で巨人にだけ7勝19敗と負け越したのが、大いに悔やまれた。

投手陣では安田猛が自己最多の17勝で、3年連続4度目の2ケタ勝利。前年までプロ4年間で通算2勝の鈴木康二朗は14勝と大きく開花し、安田、梶間らとともにオールスターにも出場した。その梶間は後半戦は勝ち星が伸びず、7勝7敗1セーブ、防御率3.34(リーグ3位)で新人王には届かず。松岡弘は9勝止まりで、惜しくも7年連続の2ケタ勝利を逃した。

打線では若松、マニエル以外にも、移籍3年目の大杉がリーグ6位の打率.329に31本塁打、104打点と本領を発揮。ただし、チーム打率は僅差でリーグ最下位と、防御率リーグ2位の投手陣と比べると、物足りなさが残った。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
80
46
4
.635
2
ヤクルトスワローズ
130
62
58
10
.517
15.0
3
中日ドラゴンズ
130
64
61
5
.512
15.5
4
阪神タイガース
130
55
63
12
.466
21.0
5
広島東洋カープ
130
51
67
12
.432
25.0
6
大洋ホエールズ
130
51
68
11
.429
25.5

主なラインナップ(監督:広岡達朗)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(左)
ロジャー
37
.263
22
55
2(二)
永尾泰憲
27
.244
4
30
3(中)
若松勉
30
.358
20
70
4(一)
大杉勝男
32
.329
31
104
5(右)
マニエル
33
.316
42
97
6(三)
船田和英
35
.283
1
20
7(捕)
大矢明彦
30
.252
8
29
8(遊)
水谷新太郎
24
.203
0
20
9(投)
※先発投手
八重樫幸雄
26
.267
6
18
渡辺進
25
.204
8
26
福富邦夫
34
.275
6
31
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
安田猛
30
51
17-16-6
3.74
鈴木康二朗
28
37
14-9-0
3.67
松岡弘
30
47
9-10-7
4.12
会田照夫
30
40
9-9-0
4.29
梶間健一
25
44
7-7-1
3.34
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
首位打者
若松勉(2回)
ベストナイン(外野手)
若松勉(5回)
特別賞
ダイヤモンド・グラブ賞(捕手)
大矢明彦(4回)
ダイヤモンド・グラブ賞(外野手)
若松勉(初)
月間MVP(6月度)
ロジャー
月間MVP(9月度)
若松勉


1978年
2月17日~3月16日
球団史上初の海外キャンプを米国アリゾナ州ユマ市で、ナショナル・リーグ西部地区所属サンディエゴ・パドレスと合同練習を実施
4月8日
福富邦夫外野手、対広島4回戦(広島)で1,000本安打を達成(プロ107人目)
4月14日
若松勉外野手、対中日1回戦(神宮)で100号本塁打を達成(プロ95人目)
5月6日
若松勉外野手、対横浜大洋7回戦(横浜)3イニング連続本塁打を達成(プロ5人目)
6月1日
船田和英内野手、対中日7回戦(静岡)で1,500試合出場を達成(プロ58人目)
6月1日~5日
マニエル外野手、対中日7回戦(静岡)より対阪神8回戦(神宮)に10打数10安打のセ・リーグ新記録を達成(日本タイ記録)
6月21日
若松勉外野手、対広島14回戦(広島)で1,000本安打を達成(プロ111人目)
8月6日
大矢明彦捕手、対広島17回戦(熊本)で1,000試合出場を達成(プロ202人目)
10月3日
伊勢孝夫内野手、対中日23回戦(神宮)で1,000試合出場を達成(プロ205人目)
10月4日
対中日24回戦(神宮)に9-0で勝利し、球団結成29年目にして初優勝を完全優勝で飾る。
10月9日
ペナント・レース閉幕、130試合68勝46敗16分、勝率.596。開幕以来129試合連続得点のセ・リーグ新記録を達成。通算141試合連続得点の日本新記録を達成。
10月22日
日本シリーズ第7戦(後楽園)で阪急ブレーブスを4-0で降し、4勝3敗で初めて“日本ー”の座につく。
12月23日~29日
V1を祝ってハワイ旅行

創設29年目の飛翔、悲願の初V&日本一!
球団史上初の海外キャンプとして、米国アリゾナ州ユマで春季キャンプを挙行。現地で入団テストを受けたヒルトンを新戦力として加え、1ヶ月間の武者修行から帰国したナインは、20年ぶりに開幕3連勝を飾るなど、6試合で5勝1敗とスタートダッシュに成功した。

直後の7連敗(2引き分け挟む)で4位まで後退したものの、5月に入って5連勝(2引き分け挟む)、7連勝(1引き分け挟む)と勝ちまくり、一気に借金を返済。6月3日にトップに返り咲くと、大洋、巨人と競り合いながら6月10日以降は首位の座を守り、球団史上初めて1位で前半戦を折り返した。

前半戦の快進撃を支えたのが、新外国人のヒルトンだった。開幕から一番に座り、独特のクラウチングスタイルで快打を連発。5月5日には打率を.376まで上げてトップに躍り出るなど、常に高打率をキープして鈴木康二朗、角富士夫、若松勉とともにファン投票でオールスターに選ばれた(その他、井原慎一朗と大矢明彦が監督推薦で出場)。

球宴後は巨人と一進一退の攻防を繰り広げ、8月20日には4.5ゲーム差をつけられるが、26日からの直接対決3連戦を2勝1分けで制するなどジリジリと差を縮め、9月初旬に首位の座を奪回。9月17日にマジック14が点灯すると、19日からは3試合連続のサヨナラ勝ちで勢いに乗り、10月3日の中日戦に勝って初のリーグ優勝に王手をかけた。

そして迎えた10月4日の中日戦、本拠地・神宮を埋めた4万3000人の大観衆の前で、序盤から打線が火を噴いた。ヒルトンの先頭打者アーチを皮切りに、杉浦亨の2ランなどで大量リードを奪うと、投げてはエースの松岡弘が中日打線を完封。最後の打者が併殺に倒れたのを合図に、ベンチからはナイン、そしてスタンドからはファンが次々にグラウンドへなだれ込み、就任以来厳しい姿勢でチームを率いてきた広岡達朗監督が、その大きな歓喜の輪の中で宙に舞った。

セ・リーグ6球団の中ではしんがりで臨む日本シリーズの相手は阪急。4年連続日本一を狙う王者を相手に初陣の燕が3勝3敗と善戦し、勝負の行方は第7戦に委ねられた。その最終戦、5回に1点を先制したヤクルトは、続く6回に大杉勝男の左翼ポールを超える特大弾で1点を追加するが、このホームランの判定に阪急の上田利治監督が抗議して試合は1時間19分に渡って中断。しかし、再開直後にマニエル、8回には大杉がこの日2本目の本塁打を放つと、先発の松岡は長時間の中断にも集中力を切らすことなく136球で完封。国鉄球団として産声を上げてから29年目にして、ヤクルトがついに日本一まで上りつめた。

なお、若松は打率.341で惜しくも2年連続の首位打者には届かなかったものの、球団史上初のMVPを獲得。シーズン前半は苦しみながらも16勝を挙げ、2度の胴上げ投手になった松岡が、国鉄時代の金田正一に次いで2人目の沢村賞に輝いた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
ヤクルトスワローズ
130
68
46
16
.596
2
読売ジャイアンツ
130
65
49
16
.570
3.0
3
広島東洋カープ
130
62
50
18
.554
5.0
4
横浜大洋ホエールズ
130
64
57
9
.529
7.5
5
中日ドラゴンズ
130
53
71
6
.427
20.0
6
阪神タイガース
130
41
80
9
.339
30.5

主なラインナップ(監督:広岡達朗)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(二)
ヒルトン
28
.317
19
76
2(三)
角富士夫
22
.273
7
29
3(中)
若松勉
31
.341
17
71
4(右)
マニエル
34
.312
39
103
5(一)
大杉勝男
33
.327
30
97
6(左)
杉浦亨
26
.291
17
67
7(捕)
大矢明彦
31
.268
7
44
8(遊)
水谷新太郎
25
.290
1
17
9(投)
※先発投手
船田和英
36
.271
8
25
永尾泰憲
28
.211
0
17
福富邦夫
35
.232
2
15
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
松岡弘
31
43
16-11-2
3.75
安田猛
31
47
15-10-4
3.93
鈴木康二朗
29
37
13-3-1
4.11
井原慎一朗
26
58
10-4-4
3.38
倉田誠
32
43
5-2-4
4.24
  • 年齢は満年齢


表彰選手

日本シリーズ表彰
最優秀選手賞
大杉勝男
最優秀投手賞
松岡弘
技能賞
ヒルトン
優秀選手賞
若松勉
勝利監督賞
広岡達朗
セ・リーグ表彰
最優秀選手
若松勉
ベストナイン(捕手)
大矢明彦(初)
ベストナイン(二塁手)
ヒルトン(初)
ベストナイン(外野手)
若松勉(6回)
ベストナイン(外野手)
マニエル(初)
特別賞
沢村栄治賞
松岡弘
ダイヤモンド・グラブ賞(捕手)
大矢明彦(5回)
ダイヤモンド・グラブ賞(外野手)
若松勉(2回)
月間MVP(5月度)
鈴木康二朗
月間MVP(6月度)
井原慎一朗
月間MVP(9月度)
松岡弘


1979年
2月13日~3月21日
第2回ユマ・キャンプ
5月12日
若松勉外野手、対阪神7回戦(長崎)で1,000試合出場を達成(プロ207人目)
5月13日
福富邦夫外野手、対阪神7回戦(長崎)で1,500試合出場を達成(プロ61人目)
5月27日
スコット外野手、5月23日の対広島6回戦(神宮)より5月27日対阪神10回戦(甲子園)まで、1節間最多本塁打8本の新記録を達成。また1日4本塁打のタイ記録をマーク(プロ7人目)
7月28日
大杉勝男内野手、対中日14回戦(神宮)で通算400号本塁打を達成(プロ6人目)
8月21日
松岡弘投手、対阪神19回戦(神宮)で通算1,500奪三振を達成(プロ26人目)
8月31日
船田和英内野手、対巨人19回戦(神宮)で通算100号本塁打を達成(プロ105人目)
10月11日
ファームが7年ぶり3度目のイースタン・リーグ優勝(最終成績70試合42勝23敗5分、勝率.646)

頂点からの転落、広岡監督は途中辞任
初優勝&日本一の立役者の1人であるマニエルを永尾泰憲とともに近鉄へ放出し、左腕の神部年男ら3選手を獲得。新外国人として俊足・巧打の触れ込みのスコットを加え、前年と同様に米国アリゾナ州ユマでの春季キャンプから、連覇に向けてスタートを切った。

ところが前年はリーグNo.1の得点力を誇った打線が開幕戦で完封されると、そこから引き分けを挟んで8連敗。それでも4月下旬から持ち直し、5月27日の対阪神ダブルヘッダーではスコットが計4本塁打、12打点の大暴れを見せるなど、勝率を5割に戻して3位に浮かび上がった。

しかし、その直後に4連敗、6月8日からは本拠地・神宮で大洋に3タテされるなど再び4連敗を喫して最下位に逆戻り。19日の広島戦から引き分けを挟んでシーズン2度目の8連敗を記録すると、その後は浮上の兆しすら見せることができなかった。

8月14日には森昌彦、植村義信両コーチの休養が発表され、17日に広岡達朗監督が辞任。残りのシーズンは佐藤孝夫ヘッドコーチが監督代行として指揮を執ったものの、その間も17勝24敗4分けという成績で、8年ぶりの最下位に終わった。

マニエルの代わりに四番に座った新外国人のスコットは、いずれもチームトップの28本塁打、81打点に加え、俊足を生かした守備範囲の広さでダイヤモンドグラブ賞を受賞。若松勉は4年連続の打率3割をマークし、負傷でスタメンを外れた7月11日の中日戦では通算3度目の代打サヨナラ本塁打を放った。さらに杉浦亨も自己最多の22本塁打と飛躍したが、前年のリーグ優勝&日本一に大きく貢献した大杉勝男とヒルトンが、大幅に成績を落としたのが痛かった。

投手陣では梶間健一がプロ3年目にして初の2ケタ勝利を挙げたものの、前年まで2年連続2ケタ勝利の鈴木康二朗が8勝、移籍の神部が6勝、安田猛はヒザの故障もあってわずか1勝と、その他のローテーション投手は揃って振るわず。エースの松岡弘は抑えも兼ねてチーム最多の13セーブと気を吐いたが、先発では開幕から3連敗を喫するなど、勝ち星は1ケタにとどまった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
広島東洋カープ
130
67
50
13
.573
2
横浜大洋ホエールズ
130
59
54
17
.522
6.0
3
中日ドラゴンズ
130
59
57
14
.509
7.5
4
阪神タイガース
130
61
60
9
.504
8.0
5
読売ジャイアンツ
130
58
62
10
.483
10.5
6
ヤクルトスワローズ
130
48
69
13
.410
19.0

主なラインナップ(監督:広岡達朗→佐藤孝夫)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1(二)
ヒルトン
29
.258
19
48
2(三)
船田和英
37
.283
14
49
3(左)
若松勉
32
.306
17
65
4(中)
スコット
27
.272
28
81
5(一)
大杉勝男
34
.242
17
68
6(右)
杉浦亨
27
.284
22
54
7(捕)
大矢明彦
32
.271
6
31
8(遊)
水谷新太郎
26
.211
1
11
9(投)
※先発投手
八重樫幸雄
28
.208
10
27
杉村繁
22
.243
0
9
福富邦夫
36
.267
8
29
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗S
防御率
梶間健一
27
43
10-12-0
5.11
松岡弘
32
50
9-11-13
3.96
鈴木康二朗
30
37
8-11-0
4.26
井原慎一朗
27
35
6-4-4
4.39
神部年男
36
25
6-8-0
4.32
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
若松勉(7回)
特別賞
ダイヤモンド・グラブ賞(外野手)
スコット(初)
月間シルバー賞(4月)
八重樫幸雄
月間シルバー賞(5月)
スコット
月間シルバー賞(6月)
尾花高夫
月間シルバー賞(7月)
杉村繁
月間シルバー賞(8月)
船田和英
月間シルバー賞(9月)
井原慎一朗